先ほど尾崎豊のドラマ放送に先駆けドキュメンタリー番組がテレビ東京でやってました。
自分は今、お陰様で音楽に携わるお仕事をさせていただいてます。
音楽の業界、職業ましてや演奏家、プレイヤーとしてそこに身を置くというのはとても
専門的な分野になります。
それこそ、その職に就く為に今や大学まであるくらいです。
日々接するミュージシャンはやはり皆、音楽を純粋に一つの分野として職人気質で真剣に取り組んでいます。
その姿勢は素晴らしいし崇高です。
ただ、俺はその姿勢も持ち合わせているつもりですが、始めからその姿勢で音楽と付き合って来た訳ではありません。
尾崎豊は俺にとってはまずいです。
あれは確か小6から中1の頃だと思います、地元のレコード屋で初めて自分のお金でLPを買ったのが尾崎豊の十七歳の地図です。
それまで買ってもらったアイドルの7インチシングルやおふくろのレコードを聞いたりしてましたが、
当時何の宣伝もなくただ店のお兄さんが「これは絶対にいいよ!」って言って薦められ半信半疑でなけなしの2800円を払って買いました。
衝撃過ぎました。。。。
楽器を弾き始めてた頃ですが、それどころじゃなく当時の昭和末期の思春期の男子には
尾崎はあまりにも衝撃的だったのです、他の何よりも…
そもそもこの時代は金八っさんを始め学園ものがたくさんあり、
教育に関して世の中に歪みが生まれていた頃だと思います。。。
今思えば自分達の親の団塊の世代は全てがプラス思考で戦後を復興し
高度経済成長を担ってきました、そこに人間社会の矛盾や思想など激動の70年代があり、
その混沌としたアングラと経済大国としてのプライドの狭間で人間らしさに目覚めよう
とした世代が80年代のティーンエイジャーだったのではないかと思います。
結局大半は世の中の流れに身を任せて行く訳ですが。。。。
ただ俺は言ってしまうとその時代の気質に取り憑かれた、ある意味可哀想なアホな奴かもしれません。
親の反対を押し切り、進学校の高校を中退してます。
その当時尾崎の歌詞に出てくる物全てが自分にだぶっていました。
中学2年で親の薦めで夏休みに一ヶ月アメリカにホームステイに行きました。
(今思えば凄い感謝です)
その頃の自分にはその全てが夢の世界でした。
帰国後の作文発表会で自分は「アメリカは縛られてない…」という題で書きましたが、
発表はさせてくれませんでした…(笑)
当時地元でバンドを結成しそれだけが自分の存在価値だと思っていました。
家族や学校の先生を無理矢理説得(単なるわがままだと思うけど…)し、
17歳で上京してから現在まではっきり言って何も変わっていません。。。
気持ちだけが若さを奮い立たせた良い例です。。。
しかしアホなのはそれを続けてることです。。。
その後社会とはオトナとは…いろいろな想いの中、
大人の年齢に達し自分のすべき事を信じて生きてます。
音楽家として一般的なその職業の方々と自分は少し違うのかもしれません。
純粋に楽器を弾いたり音楽に対して職業的目線で取り組む姿勢?
自分は後付けでそれをしてきましたが、根本に音楽家としてではなく
「自分の存在が何なのかさえ…」といった尾崎の言葉にあるような
生きる葛藤の中で生まれる人間の苦悩や奇跡、言ってしまえば
人間のドラマに興味があったんだと思います。
そしてそれを表現する手段が音楽になったのです。
そうやって思うと今たまたまこうやって音楽の仕事させてもらってるけど、
別に他の事やってても多分変わってないんだろうなとへんな気持ちになりますが。。。
しかしそういった目線があったからアメリカのブラックミュージックに共感できたんだと思います。音楽家的といった意味でなく一人間として。。
今こうやって懐かしく尾崎のレコードを聞くと、
彼はなんて正直で勇気があるんだろうと思います。
当時も今でも誰でも本当は感じている事を時代を超えて
代弁してくれているんじゃないでしょうか?
それが言いたくても言えないからロックが生まれたのです。
俺はブラックミュージック、ジャズを愛して演奏していますが心はロックなんです。
だがら少し他のミュージシャンに理解してもらえないところがあるかもしれません。。
知らず知らず姿勢やプレイにも出てますから。。
でも見てる人は見てくれてます。
それがないとやってられないしね
勿論オリジナル盤です。
当時もったいなくてテープにダビングして聞いてたのでコンディションいいでっせ!